今までのご愛顧、ありがとうございました

予定からちょうど一月たってしまいましたが、ついに閉店です。
これをもって、最後のエントリとしたいと思います。

「Kaffeepauseの日記」とは何だったのか

472日分書いたKaffeepauseの日記の役割は、少しずつ変わっていきました。
はじめの1年は、好奇心と冒険心を満たし、人脈を広げていくためのツールでした。
次の2年間は、どこかでも書きましたが、「普通の法学部生がロースクール経由で研究者になろうとするとどんな「えらい」目にあうか」という記録でした。
実は、はじめの1年が無ければ後ろの2年はきっと無かったであろう、という関係にあります。
このブログを通じて知り合った皆さん―先輩、先生、同輩、後輩―に教えられ、励まされ、そして語り合うことで、自分が進もうとする方向をさがしていたのだと思います。
ほんとうに、ありがとうございました。
ここを閉めてしまうことで、とりわけ「後輩」の皆さんに、適切な情報提供が出来なくなるのは心苦しいのですが、事情もありますので、あと一ヶ月の公開とします。

「普通の法学部生がロースクール経由で研究者になろうとするとどんな「えらい」目にあうか」について

半ば冗談のようなサブタイトルですが、冗談ではありません(挨拶)。
最初の一年で教えていただいたことをもとに、いろいろと「準備」をしてから挑んだのですが、それでも、「普通の法学部生」にとっては非常に辛いものでした。

外国語について

まず、一番のネックは外国語の能力です。こればかりは、焦っても身につくものではありません。
高校からドイツ語をかじり、教養課程でもさして困らない程度にはドイツ語ができたとしても、研究のための能力として外国語を操ることはまるで違うことです。それは、専門職として日本語を使うことが、このブログのような文章を書くのとはまるでわけが違うのと同じ(ないしはそれ以上)であると思います。
外国語の精読をすることによって、日本語の書き方、読み方もかなり違ってきました。
これは、高校時代に英語の「速読」を中心に勉強していた自分としては、かなり驚いた点でもあります。おかげで、今は以前よりも英語を読むスピードが落ちているのは間違いないと思います(使い分け、出来なきゃいけないんですけどね…)。

外国法のリテラシーについて

もちろん、読める、というためには外国法が前提にしていることをも知らなければ読めません。自分は最初はまったくのアウェイの地(教会法)に放り出されたので半分開き直っていましたが、最近はさすがにそうも言ってられなくなって、いろいろなものを読むようにしています。これについてはまだ私に語る能力はないと思いますので控えますが、ひとつだけ後輩に向けて役に立つかもしれないことを言うとすれば…大きな法改正のときには審議会等で学者・裁判官、ときには弁護士の手によって外国法の比較研究がなされることが多いです。その資料は政府のHPや著名な雑誌に発表されていることがありますので、探してみるとよいと思います。

ロースクールという場所について

すべてのローがそうだ、というわけではないでしょうし、所詮は一つのロースクールの、それも創成期(設立3年目)に通過しつつある人間モルモット、ともいうのいうことですのでその点は割り引いてほしいのですが、やはり実務家を養成しよう、従来の大学院教育とは違うことをしようという場所において、研究のための基礎能力を身に着けようというのは心理的葛藤が非常にありました。


もちろん、実務家がどう考えているのか、研究者はそれに対して何が出来るのか、という点については日々考えることができましたし、裁判所の見学や弁護士事務所の話も聞けたりして*1、非常に人生の勉強にもなりました。
ただ、どちらにしても「自分という人間は中途半端だなあ」という想いは今でも抱いています。(それをこの先の3,4年間で乗り越えるのが今の課題です。)


また、ちょっと違う角度のことを言うと、ロースクールは多様な人材がそろっていることもあり、「同輩かつ人生の先輩」に教えてもらうことも多かったです。社会に出てからもう一度勉強しようと戻ってきた方たちですので、気合も違えば経験値も違う。仕事の仕方とか、いろいろ教えていただきました。(「宿題」執筆の際には、教えていただいたPCスキルが非常に役に立ちました。)

「批判的に」読むということ

それでは、ロースクールにおける2年間の勉強で、Kaffeepauseは何を学んだのか、ということについて書きたいと思います。そのとき浮かんだのは、「批判的に」読むということ、です。


ロースクールで「宿題」を執筆するという科目選択をしていったところ、結局は意見書・訴状や準備書面・判決・学術論文と、法律学の素養でもって執筆することになるほぼすべてのタイプの書面を大量に読み、そして書くという経験をすることができました。また、裁判所にて、生の当事者、弁護人が争ったり、進行を協議したりする姿を見ることも出来ました。これらにより、読む力が飛躍的に上がったと思います。
判例を読むときも、どのような事実認定をし、どのような判例があるなかで、弁護人が訴訟追行し、この裁判所は判断したのかという流れをつかみ、批判することができるようになりました*2し、
論文を読むときも、論文の脚注を見てはこの著者がどのような思考を経てこの文章にたどり着いたのかがすこし伺えるようになりました*3
何かを批判的に読むためには、その文章の形成過程を想像する能力が必要であり、そのためには書いてみたという経験がなければならない、というのが、私がこの二年間で感じたことであります。


もちろん、自分がいい文章が書ける、ということとはまだ結びついたとは到底いえない*4ので、未熟者のはく戯言なのですけども。

辛かったこと

…と、ここで止めれば「良かったなあ」で終わるんですが、やっぱり辛かったことも書こうと思います。
まず、本当に時間が足りませんでした。
精読するのは日本語でもドイツ語でも英語でもとても時間がかかります。対象が判例の山だったり訴訟法の論文だったり分厚い事件記録だったり19世紀の主権論だったりと様々ではありますが、本当に本当に時間がかかります。
そして、それについて口頭でやり取りするための準備をするのは、さらに倍の時間がかかります。
一学期過ぎた頃にはすこし要領も良くなったのですが(精読と飛ばし読みの使い分けとか)、最初の3ヶ月はもう何がなんだか、という状態でした。
平日は睡眠時間3時間、休日は2日ともバイト、という状態でほぼ一年間過ごしました。
次の一年間は、バイトは平日1日だけにしたのですが、休日はずっと「宿題」に追われていたような気がします。
そして、ときどきパタッとなにもする気がなくなって、なんて駄目人間なんだろうと度々自己嫌悪に陥ったりしました。


結局は、通える距離ではあるものの事実上の引越しをし、さらには本当に引っ越したんですが、時間がないだけじゃなくて、落ち着いて作業に没頭できる場所を確保するのも大変でした。
膨大な資料が保管できて、ドイツ語の参考図書にもアクセスできて、自分のパソコンを使っても良くて、寒くなくて、コーヒーも飲める*5場所が出来てからやっと執筆できるようになりました(いや、追い込まれないと何もしないだけだろ、というのもあるんですが)。
わがままなのだとは思いますが。


出費も大変でした。ロースクールは学費が高いうえ*6、ローの課題や自分の「宿題」のためにしたコピーや文献購入は多数に上ったので、学生支援機構からの「奨学金」という名の借金だけではまかなえなくなりました。親と同居していたのですが、親は大学までの学費を払っていただいただけでもありがたかったので、大学院に行く際にはもう迷惑はかけられない、と。でも同居はしているので学費の免除も受けられず、結局バイトは最後まで(そして現在も)続けています。
この借金、いつ返せる日が来るのか本当にわからないんですよね…。
それでも、国家試験受験資格はもらえるので*7、何とか受かりたいと思います。

Kaffeepauseのこれから

さしあたり、これから通らないといけない試験が3種あります。卒業、進学、国家試験。それらの結果がどうなるか、については、もう触れないことにします。この2年間の過程が、成功に終わるのか、失敗に終わるのか、それはもうここには書けませんが、またいつか、どこかでお会いしましょう。


最後に、ここを訪れてくださった皆さんに、改めて感謝の意を申し上げます。
本当にありがとうございました。
コメントないし、メールをよせてくださるとうれしいです。それでは。        Kaffeepause 

*1:すみません、検察にはあまりにも興味がないので顔を出しませんでした

*2:もちろん、時間はかかるのですが

*3:少なくとも、英語とドイツ語の脚注をみて、ひるまなくなりました

*4:今、「宿題」を読み返すと本当にキツイ(汗)

*5:それが余計なんじゃ…

*6:それでも、私立に比べれば安いのですが

*7:使う予定がないのが苦しいが