気になったネット記事
毎日新聞の記事より。
発信箱:落ち着いたマック 野沢和弘
寝不足だったせいか、JR蒲田駅(東京都大田区)近くのマクドナルドに入った時、どこか妙な感じがした。注文する順番が来て気付いた。カウンターの中に50〜60代とおぼしき女性店員が何人もいる。
(後略)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20051015k0000m070143000c.html
そういえば、私が乗り換え駅で利用している下町のマックも「パートの皆さんを応援します」という文句のついた求人を出していたっけ。
そしてこの野沢氏の記事は団塊世代の定年後のパートでの再雇用について肯定的・楽観的な見方を提供している。
しかし、ほんとにそうかなあ。私も52歳の母が元気に某ドラックストアチェーンで働いているのを見ると、申し訳なく思う*1と同時に、働きに行く前よりも若々しい母を頼もしく思うのだけれど、人間向き不向きあるからねえ、すべての人がちゃんと働けるわけでもないんよね。
母がときにこぼす同僚の仕事振りとか、スーパーとかで働いている50歳越えた年齢の方を見ると、本当にほっとすることも、頼りになるなあと思うこともあるけど、その逆のことも多くて。*2
結局、その仕事に何が求められているか、という意識の重要性はどんな雇用形態でも、どんな職業でも変わりはなく、企業の社会的信用は現場の一人一人が作っているのだ、という点を意識できる労働者・労働者教育が大事であり、それは「高齢者の社会進出」という状況に至ったとしてもけして変わることはない、ということですね。あ、当たり前の結論になってしもた。
しいて言うなら、「自分の年を言い訳にしないプロ意識」を持っている人が多くなると、世の中良くなるんだと思います。まあこれは自分の年=若さを言い訳にしないという意味では私達の世代にもそのまま跳ね返ってくるので、誰にとっても同じことなのですが。
その点、先述の記事の末尾は(二重の意味で)ちょいといただけない。
街の最前線で年配の人たちが元気に働いているのを見るのは悪くない。
エッグマフィンはいつもより味わい深い気がした。コーヒーと思って飲んだらコーラだったのでむせてしまったが、たいしたことではない。私が若く見えたので注文を間違えたのかもしれない。少し得をした気分だ。
いや、ウイットに富んだ〆かたをしたかったのかもしれないけどさ、私だったら朝マックでアイスコーヒーの代わりにコーラ出てきたらマジギレすると思うよ(爆)
それくらい、朝の起動に珈琲が欠かせなくなってる今日この頃。