2年半余りを振り返って(その5)ロースクール3年次 夏学期

ドイツ法関連の研究会に出させていただいていた3月も終わり、ローに帰還。論文のテーマは決めたので、それについての文献収集を…春休みに大方終わっているはずだったのですが、なにぶん日本においてもドイツにおいても新しい法律がからんでくるものなので、4月を過ぎてもなかなか集められず。この時点で基礎的な部分の文献をもっと整理しておけばよかったのですが、そんな暇は実のところありませんでした。

ロー最終学年の授業

2年次はほぼ固定である時間割も、3年次はまるで制約がありません。
しかし、選択科目の制約が厳しいので、かなり悩むことになりました。


悩んだ挙句、「学部のときに頑張って勉強したが、新司法試験では使わない」科目(知的財産法、経済法、社会保障法、消費者法など)は思い切って割愛。その代わり、LSにいるうちにしかできないこと、学部では開講されていなかったもの、LSにいるうちにやっておかないとまずそうなものを取ることにしました。また、論文のテーマは決まっていたのですが、決定的に欠けている知識がありましたので、それを補うように科目を選択。
その結果、すべての科目が
1何らかの意味で論文のテーマに関連するか、
2司法試験と実務の基本のどちらかと密接に連関
する科目となり、かなり効率の良い時間を過ごすことが出来たと思います。
特に、夏学期に欧州法と環境法が開講されていたことはとても運が良かったと思います。
また、ゼミでは読みたい論文を選ばせてもらえました(何せ人数が2人でしたから…)。これは非常にありがたかったです。


ただ、必修の商法がこれまた本当に厳しい先生に当たったので、毎回準備が大変だったのです…そのために公法の授業の準備が後手後手に回って、結局結果が逆転したのは苦い思い出…。
いや、本当に、友人に感謝。


民事実務の勉強がためになったので、弁護士の先生の科目と裁判官の先生の科目をWで受講。準備書面の提出の頻度がどちらも高い科目でしたので、こっちで訴状を書いたら、あっちで争点整理のブロックを書いて、こっちで答弁書を書いたら、あっちで証人尋問の方法の検討をしたり、こっちで判決を書いたら、あっちで最終準備書面の起案をしたり、と、あっちゃこっちゃしながら時間が過ぎていきました(汗)。*1その間にドイツ語の翻訳を提出したり消費者法のゼミで発表をしたりしていたわけで、これでは文献収集はあまり前に進みません(汗汗)。

最高学年として

また、この学期では2つゼミに出ていたのですが、どちらも博士課程の人の参加がないゼミでしたので、自分が最高学年でした。これは実は初の出来事。実定法系のゼミではゼミ慣れしていない人に発表のアドバイスをしたり、まあなんとかそれらしいことをできたのですが、ドイツ語のほうは後輩が良くできる方で…(以下略)。…まあ、そんな感じでした(どんな感じだ)。

合間を縫って論文準備…?

忙しい合間を縫って、先輩のアドバイスもあって序文だけは早々に書いてみたのですが、やっぱり文献が集まらない。ドイツから本を取り寄せて読んではみたものの、情報がやや古く、関連する指令や立法時の議会文書までは手が届きませんでした。そこで、雑誌論文が出るのが落ち着くまで待っていたんですが、手に入る頃にはもうローの授業が手一杯で(汗)。とてもドイツ語を読む時間を追加することは出来ませんでした。
膨大な日本語の文献をもうちょっとこの時期に整理して読んでいればよかったのですが、「しょうゆ味」部門と「とんこつ味」部門を整理統合するだけの力量がこの時点ではまだなく、混乱していたような気もします。


気がついたらもう夏休みでした。いや、その夏休みもアッという間に過ぎてしまうのですが。

夏休み〜勉強会と英語文献に気を取られ…?

夏休みは、某所での勉強会に参加しました。今まで学者ベースで勉強していた科目を実務家と一緒に勉強することが出来る機会であり、ワクワクしておりました。実はリアルでは協働をしたことがなかった兵庫氏と実際に議論をしたことも良かったです。
レポートも自分の論文テーマにひきつけて課題設定。自分のテーマにかかわるドイツ法の前提の前提となる条約の評価をすることにしたんですが、久々に英語の文献を読んだら読めなかった(!)。いや、多分国際法の文献を読んだことがなかったからだよ、た、多分(汗)。多国間条約の形成過程とか、多分日本語でも読んだこと無かっただろ…
と、この辺から精読だけでは間に合わないということにやっと気づく。お盆休みの10日間は、どこにも行かずに英語とドイツ語の文献だけ読んでいました…。
しかし、なかなかエンジンかからない。ぼーっと1日を過ごしてしまう日々が続いた時期もありました。
ということで気がついたら8月も終わりに差し掛かっており、慌てて商法以下定期試験の勉強に追い込まれるという8月31日病を発症した次第。

定期試験、その後

定期試験を友人の協力の下何とか乗り切り、ふと気がつくともう9月末でした。
…しまった、まったく論文が書きあがっていない(おい)。
またローの授業が始まってしまえばとんでもないことになることは必至でしたので、師匠には「この夏休みであらかた書いてしまいなさい」といわれていたのですが、出来てない…。
ということで、本当に精神衛生上いただけない状態で夏学期は終わってしまったのでした。

*1:このうち、いくつかは自招危難(ほかの班に加勢)だったのだけど