友人との談話から

とりとめのないことですが。


シケプリ作り*1にあえいでいると、「でもそれは本当の勉強じゃないんだからね」と先輩に諭される。
本当の勉強。確かに講義録なんて本当の勉強じゃあないと言ってしまえばそうなんですが。単位は足りてるから受けなくてもいい試験に、なんでこんなに精魂こめてるの、というと確かにそうですね。でも、一度やりだすとやらなきゃいけないような気がするんですよ。講義の裏をとらないと気がすまないし、判決・論文のたぐいはなるべく読むようにしてるし。え、普通シケプリ作るときにそこまでしないよ、って?うん、確かに。。。だから自分がやってることがバカバカしいのはわかってるんだが。途中で止めてしまうのはもったいないし。
自分のためだと思ってやるしかないですよね。*2


さて、本当の勉強ってなんだろうと帰りの電車の中で考えていたんですが、思い出したことがひとつ。今日、やはり別の友人(社会保障法未修)と社会保障法の試験の思い出話をしていて、「社会保障法行政法出てくるよね」「当然だよ」「あ、そういやこないだゼミでやった判例・・・」彼女は行政法のゼミなんです。
それってもしかして、と事件の概要をいうと、あたり。しかも、判決日まで覚えていた。例の、国民健康保険での不法残留外国人の扱いに関する判決*3でした。
「判決日まで出てくるなんてすごいね」といわれた。いや、多分判決日が出てきたのは、シケプリを作りながら*4「あとで民集読もう」と思ってて、なあなあになってしまったからだと思うなあ。思えば、この一年フォローしてない判決が多すぎる。こういうの、フォローするのが「本当の勉強」の一端なんだろうな。でも、やはり基礎にしてるのはやっぱり過去に関与したシケプリ、というより、シケプリ作りという名目を掲げて費やした膨大な時間と労力なのだろうから、今目の前にあるものも、やはりきちんとやらないといけないだろう・・・。これができるのも、学部のうち。

*1:分担執筆はしないのがポリシーだったり。手伝ってはもらってますが

*2:この1週間で方々から督促がくるので、気が滅入っている・・・

*3:最高裁平成16年1月15日民集58巻1号226頁

*4:訂正。このシケプリは作ってもらったものに、自分で手を加えたものだった。