表現の自由に関するチラシのウラ2件

最近起きた事件で気になることはいくつかあるが、エントリに立てるほど意見があるわけでもない。単に「感想」めいたものがあるにすぎないので「チラシのウラ」と称してメモ書きにしてみる。

暴走族、「腰パン」、条例

最判暴走族禁止条例事件の反対意見・多数意見の対立が大変興味深い*1が、自分としては憲法訴訟ってこうやって使うんだな、というところが勉強になった(ダメロー生)。それにしても、この規制を合憲とする根拠がいまいちわからない。そう思っていたところ、今日の「スッキリ!」(日テレの8時からの情報番組)で「アメリカで腰パンを禁止し、刑事罰を課す州が増加傾向」というニュースが流れていて更なる衝撃を受けた。この件についてはCNNも取り上げている。*2

米各地に「腰パン」禁止条例 禁固6カ月の刑も

2007.09.24
Web posted at: 12:10 JST

  • AP

ニュージャージー州トレントン(AP) ズポンをウエストより下にずり下げてはく、いわゆる「腰パン」を当局が禁止する動きが、米南部などの市や町で最近目立っている。違反者には罰金や禁固刑を科す条例も登場し、一部から「差別だ」などとする反発の声も上がっている。

ルイジアナ州の町デルカンブリーでは今年6月、下着やしりの見える服装で公の場を歩くことを禁止する条例が、議会を通過した。違反者には最大500ドル(約5万7800円)の罰金または禁固6カ月の刑が科せられる。同州では今年、ほかにも数カ所の市や町で同様の条例が施行されている。

ジョージア州アトランタ市議会にも最近、腰パン禁止法案が提出された。罰則は小額の罰金または奉仕活動。同市議会の男性議員は、「腰パンの影響は小学生にまで及ぶ勢いだ。それをなんとか食い止めたい」と話す。

腰パン禁止は、ニュージャージ州トレントンの議会でも検討されている。法案作りを進める女性議員によると、違反者には罰金刑のほか、市職員による調査・評価を受けさせることも検討されている。「仕事はあるか、高校は出たかといった項目を調べ、軌道修正させるのが狙い」と、この議員は説明する。

皮肉なことに、腰パンは米国の刑務所で生まれたとされる。受刑者に支給される制服はサイズが大きめで、ベルトは危険だとして与えられないため、ズボンは必然的にずり落ちる。これが80年代後半、ヒップホップ系のビデオなどにファッションとして登場し、その後高校生らの間に広がった。今後は、刑務所発祥のファッションで街を歩いたせいで、刑務所に送られるという若者が続出するかもしれない。

トレントン市内にあるヒップホップ・ファッションの店「レザーショップ」では、腰パン姿の買い物客(30)が、「きついズボンをはいていたら、ポケットから金を取り出しにくい。この方が快適だよ」と主張する。店主のマック・マレー氏は法案への不満をあらわにして、「ズボンが大きいからと、工事作業員や配管工まで取り締まるつもりか。偏見も甚だしい」とまくし立てた。

また、市民団体の全米市民自由連合(ACLU)は、こうした動きを「人種差別的」と批判する。ACLUジョージア州支部では、「禁止令で標的になるのはアフリカ系の若者たち。外見と犯罪を結びつける発想は危険だ」として、法案に抵抗する構えを示している。

私としては最後のACLUの意見後段と同じで、「外見と犯罪を結びつけること」の違和感が否めない。(もっとも、ACLUの主眼は間接差別の問題として扱うことのようだが。)
暴走族を取り締まるのも、暴走行為、暴力行為を開始する以前の段階で、「外見」「集合」「い集」の段階で取り締まることは本当に許されるのだろうか。


私だって、暴走族が集まっていれば怖い。腰パンは好きではない。しかし、それを取り締まってしまえば、社会の中で大事なことが欠落・侵収されはしまいか。「軌道修正」って何なんだ?
行政警察活動と司法警察活動の違いがますますわからない。
比例原則って何だっけ・・・。
刑訴法、刑法もきちんと勉強しないと。

某アニメの最終回地上波放映取り止めについて

最近「脱・腐女子*3していることと、エロゲ原作(という事実認定で良いんですよね?>Razさん、ronnorさん)のアニメには基本的に手を出さないことにしている*4のでどういう話かは知らないのだが、某アニメが斧で父親を殺害した事件発生のあおりをうけて放送取り止めになった、という話は衝撃だった。
でも、その後日談・・・
内容自体がそもそも放映できないものだったという話が流れている。
・・・これは一次文献(?)に当たる気が起きないのでコメントしようがないが、
「事件のあおりで放映できなくなる」事件は、別に今に始まったことではない*5
しかし、この「自主規制」、効果の面で疑問があるばかりか、製作側にとっても受け手の視聴者にとっても不幸なことだ。
もしそもそも放映に適さない(某アニメ事例)のなら、最初から地上波放送を予定すべきではなかったし、視聴者にもそう伝えるべき、そういう枠組みで製作すべきなのだ。
そうでなくて、放送できると判断して作ったのなら、事後的にどんな事件が起きようと、放映するのが製作と視聴者への礼儀ではないのか。だいたい、当該事件が起きたあとでは、その事件への影響はないし、模倣犯が出ても事件のせいなのかアニメ・ドラマのせいなのかは判別しえない。フィクションよりも、ノンフィクションのほうが影響がありそうなものだ。規制するなら、ワイドショーも規制しろといいたくなるのが一アニメファンとしての(法学徒としてではなく)心情である。


もっとも、そうはいかない事情がいろいろとあるのはわかるし、そもそも「放映に適さない」という判断自体が普遍性も正統性もへったくれもない。「事件」によって判断基準そのものが変容することもあるという反論がやってくるだろう。また、自主規制ルールというのはその柔軟性ゆえ活用される、ともすれば過剰になるのも仕方がないということもわかる。しかし、釈然としない。


まあ、どちらも「表現の自由」問題と片をつけてしまえばそうなのだが、
憲法」問題がこれほどリアルに感じられるのも珍しい、と思い、チラシのウラにメモする次第。
まあ、動機付けが「腰パン」とアニメだという時点で自分の不勉強っぷりが露呈することは間違いないんだが。

*1:詳しい分析は企業法務戦士様のhttp://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20070924/1190613874参照

*2:http://www.cnn.co.jp/usa/CNN200709240002.html

*3:まあ、もともと「広義の」ないしは「軽症の」ほうなのだが。念の為

*4:らき☆すたは和むしアニヲタ兄貴に借りれば済む話だが、前半の理由で手を出してません。

*5:もはや記憶のかなたに飛んでしまったが、たしか松山ケンイチ主演のドラマでも、拳銃立てこもり事件を受けて同じような差し替えが行われていたはずだ。